2018年11月30日(金)
「──ごほッ! こほ、ごホッ!」
鼻水に加え、咳まで出始めた。
「びょういん……」
「いや、──こほッ、熱は下がったから……」
「そだけど」
温湿度計を覗き込む。
湿度43%
すこし低めだ。
「加湿、しとくか」
「うん」
加湿空気清浄機からタンクを抜き取り、側面下部にあるトレイを取り外す。
──バリッ!
「あー……」
「すごいおとした」
乾いた汚れが貼り付き、天然の接着剤と化していたらしい。
うにゅほがトレイを覗き込み、呟く。
「きたない……」
「去年もこんな感じで、こほ、浸け置き洗いしたんだったな」
「うん」
「たまに掃除すればいいんだろうけど、つい忘れちゃうんだよなあ……」
「ねー」
洗面所に湯を張り、洗剤を混ぜてトレイを入れる。
「一時間くらいでいいかな」
「そしたら、わたし、スポンジでこするね」
「頼──ゴホッ、頼む」
「うん」
トレイを浸け置きしたあと、階段を下りて玄関へ向かう。
「◯◯?」
「んー」
「どこいくの?」
「コロの墓」
「あ、そか」
今日は、愛犬の命日である。
「風邪引いてなければ、ジャーキーでも買ってきたんだけどな……」
「おまいりしたら、すぐはいろうね」
「ああ」
庭の墓石にさっと手を合わせ、体が冷えないうちに自室へ戻る。
年を追うごとに、墓参りの時間が短くなっていく。
愛犬の記憶も、既に遠い。
悲しみが癒えることに一抹の寂しさを感じる冬の一日だった。
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2018年11月29日(木)
引き続き、風邪を引いている。
腋窩で電子音を鳴らす体温計を引き抜き、表示盤を確認する。
37.4℃
「熱が上がってきた……」
「びょういん、いこ」
「病院……」
ごろんと寝返りを打ち、うにゅほに背中を向ける。
「いきたくない?」
「着替えて、運転して、一時間待って、診察して、ようやくもらえるのがただの風邪薬だからなあ……」
インフルエンザじゃあるまいし、普通の風邪で病院へ行くのは馬鹿らしい。
「寝てれば治る、寝てれば」
「そか……」
「……心配かけて、ごめんな」
「うん」
どうにも病弱な肉体である。
もうすこし丈夫に生まれつきたかったが、こればかりはどうしようもない。
配られたカードで勝負するしかないのだ。
幾度も眠り、幾度も目覚め、浅い夢を繰り返す。
「──…………」
寝癖の跳ねた髪の毛を撫でつけながら上体を起こすと、うにゅほが座椅子で寝落ちしていた。
その手には、昨日も飲んだ風邪薬の小箱が握られている。
うにゅほを起こさないように小箱を抜き取り、洗面所でカプセルを飲み下す。
そこで、ようやく気がついた。
「……これ、鼻炎の薬だ」
くしゃみ、鼻水、鼻づまりと書いてあるから、うにゅほが間違えたのだろう。
慌ててたのかな。
微笑ましい気分になって、薬の小箱をポケットに突っ込んだ。
気がつく前に隠してしまおう。
丸一日眠り眠って、体調もだいぶ良くなった。
だが、油断は禁物だ。
しばらくは安静にしておこうと思った。
2018年11月28日(水)
「──…………」
ずぞ。
鼻を啜る。
すこぶる喉が痛かった。
「……はい、風邪を引きました」
「!」
うにゅほが俺に抱きつき、すんすんと鼻を鳴らす。
「ほんとだ……」
「風邪の匂い、するか」
「する」
うにゅほは、俺の体調を、匂いで検知することができる。
曰く、ラムネと何かが入り混じったような匂いがするらしい。
「まっててね」
そう言い残し、うにゅほが階下へ駆けていく。
しばらくして戻ってきたうにゅほの手には、体温計と風邪薬、サージカルマスクが握られていた。
「ねつ、はかりましょう」
「あい」
素直に熱を測る。
36.8℃
「あるような、ないような……」
微妙なところだ。
「くすりのんで、ねましょうね」
「はい」
風邪薬を飲み、マスクを装着し、ベッドに潜り込む。
「……××も、マスクな」
「うん」
まだ母親も完治していないのに、ふたり揃って倒れては事である。
「どこでもらってきたんだろう……」
「きのう、きゅうきゅうびょういんかなあ」
「いや、風邪には潜伏期間がある。だから、二、三日くらい前の──」
「あ、のみいったとき?」
「それだ」
地下鉄か居酒屋かはわからないが、近くに風邪を引いた人がいたのだろう。
「人混みのある場所に行くときは、マスクしたほうがよさそうだなあ……」
「ね」
風邪は、予防が大切である。
引いてからでは遅いのだ。
2018年11月27日(火)
母親を伴い救急病院から帰宅すると、午前六時を過ぎていた。
そのまま泥のように眠り、起床したのち、蚊帳の外だった弟に事の次第を説明する。
「朝の四時半くらいに父さんに起こされてさ。母さん、蕁麻疹が出たって言うんだよ」
「蕁麻疹……」
「ブツブツはできてなかったけど、とにかく両手が痒いんだって」
「てー、あかくなってた」
「で、俺と××で救急病院連れてって、診察してもらったんだ」
「……××、大丈夫だったの?」
「大丈夫じゃなかった。ずっと半泣きだった」
「やっぱり」
「うへー……」
うにゅほが苦笑する。
「で、原因はなんだったのさ」
「さばだって」
「鯖って、夕飯の鯖の味噌煮?」
「うん」
「もともと体調が悪いところに、あたりやすい鯖を食べたのがよくなかったらしい」
「あー……」
ヒスタミン中毒、というやつである。
「あれるぎーのくすりと、かゆみどめもらった」
「それでひとまず様子見だってさ」
「俺が寝てるあいだに、そんなことがあったんだ……」
「のんきにぐーすか寝やがって」
「あとから言うなよ」
弟が、不満げに口を尖らせる。
「冗談、冗談。起こしても杞憂になりそうだったからな」
「××は起きちゃったのか」
「おきちゃった」
「父さん声でかいし」
「わかる」
「症状が悪化するようならまた病院って話だったけど、快方に向かってるみたいだし、たぶん大丈夫じゃないかな」
「そっか」
弟が、ほっと息を吐く。
なんだかんだと心配ではあったのだろう。
「それより、俺の生活サイクルが狂いそうなのが問題だ……」
「それはどうでもいい」
俺には冷たい弟なのだった。
2018年11月26日(月)
「◯◯、◯◯」
「んー?」
うにゅほが、カレンダーを指し示す。
「いいふろのひ」
「いい風呂の──ああ、11月26日だからか」
「うん」
「急にどうしたんだ」
「にっき、かくことないかとおもって」
「あー……」
たしかに。
今日、何もしてないもんな。
「お気遣い、ありがとうございます」
「いえいえ」
ぺこりぺこりと頭を下げ合う。
「かけそう?」
「いい風呂の日だけだと、さすがにパンチが足りないな」
「そか……」
「どうせなら、銭湯へ行くくらいのイベント感が欲しい」
「せんとう、いく?」
「絶対混んでる」
「そだね……」
「銭湯らしい銭湯って、近場にないしな」
「たしかに」
「いまから定山渓とか、そこまでフットワーク軽くないし……」
「じょうざんけいおんせん?」
「行ったことあったっけ」
「ない」
「じゃあ、今度──」
言いかけて、はたと気づく。
「……温泉だと、男湯と女湯で別れるな」
「あ」
銭湯もだけど。
「こんよく……」
「混浴なんてそうないし、そもそも××の肌を他人に見せたくない」
「……うへー」
うにゅほがてれりと笑う。
「まあ、そのうちどっか行くかー……」
「うん」
この漠然とした約束が果たされるのは、雪が解けてからになるだろう。
冬場は引きこもるに限る。
2018年11月25日(日)
沈みゆく太陽を見つめながら、呟く。
「連休が……終わっていく……」
「そだね……」
「なーんかぼんやり過ごしちゃったなあ」
「ずっとゲームしてたもんね」
「ディスガイアも、育成限界が見えたから、だんだん飽きてきちゃったし……」
ここまで来ると、攻略サイトに書かれている内容をなぞるくらいしか、できることがない。
それはあまりに虚しい作業だ。
「……床屋行けばよかったかなあ」
「かみ、もうきるの?」
「横に跳ねてきたからな」
「ぼうず?」
「これからの季節、坊主はつらいだろ」
「さむいもんね……」
「ツーブロックみたいにしようかと思って」
「つーぶろっく」
「横と後ろを刈り上げて、上は残す──みたいな」
「あー」
「そういう髪型、見たことあるだろ」
「あれ、つーぶろっくっていうんだ」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「にあうかな」
「似合うと思う?」
「うん」
「わからないぞ。コボちゃんみたいになるかも」
「コボちゃん?」
うにゅほが小首をかしげる。
「知らないのか……」
「しらない」
考えてみれば、触れる機会もないものな。
「読売新聞とってたのって、××が来る前だったっけ」
「しんぶん……」
「新聞のテレビ欄の裏には、決まって四コマ漫画が載ってるんだよ」
「へえー」
「小学生のころ、なんでか切り抜いて集めてたっけなあ……」
懐かしい。
まだ連載しているのだろうか。
何故かコボちゃんに思いを馳せる連休最後の夕刻なのだった。
2018年11月24日(土)
午睡から目覚め、のろのろと着替えをする。
「きょう、ともだちとのみいくんだっけ」
「そう」
「ふゆだもんね、しかたないね……」
年末になると、忘年会やら何やらで、うにゅほを置いて出掛けなければならないことが多くなる。
こればかりはどうしようもない。
「なんじくらい、かえってくる?」」
「そんなには遅くならないと思うけど……」
「ほんと?」
「はしご酒って相手でもないし」
「そか……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「おきてていい?」
「いいけど、寒かったらちゃんとストーブをつけておくこと」
「わかりました」
うにゅほが、神妙な顔で頷く。
この反応なら大丈夫だ。
「ココアとコーンスープ、どっちがいい?」
「うと、ココアかなあ」
「了解」
うにゅほを置いて飲みに出掛けた冬の日は、ココアかコーンスープをお土産に買ってくる。
理由は特にない。
ただ、なんとなく続いている習慣だ。
「……免罪符のつもり、なのかもなあ」
「?」
「いや、独り言」
「そか」
自分の気持ちは、自分でもよくわからない。
「じゃあ、行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
うにゅほに見送られ、家を出て──
帰宅したのは午前一時だった。
「──…………」
「……たいへん申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
「終電を逃してしまいまして……」
「……ココア」
「は、ここに……!」
まだ温かいココアを差し出す。
「……あんましおそいと、しんぱいするんだからね」
遅くなる旨は連絡してあるが、そういう問題ではない。
「ごめんな」
「うん」
小さく頷いて、うにゅほがココアをひとくち啜る。
「寝るとき、歯磨きし直さないとな」
「うん、わかった」
本当に免罪符になってしまった。
次からは気をつけよう。
2018年11月23日(金)
Steamでディスガイア5を購入して以来、ゲーム漬けの毎日が続いている。
「──…………」
「──……」
うにゅほを膝に乗せたまま、延々とレベル上げを行う。
「◯◯」
「んー」
「どのくらいつよくなった?」
「ラスボスワンパンどころか、負けることが事実上不可能になった」
ダメージ食らわないし、勝手に反撃するし。
「まだつよくするの?」
「隠しボスは、もっと強い」
「どのくらい?」
「まだ挑んでないからわからないけど、たぶん億ダメージを出せるようにならないと……」
「おく!」
うにゅほが目をまるくする。
「いま、ひゃくまんくらい……」
「そうだな」
「……ひゃくばいかかる?」
「かからない、かからない。加速度的に成長するから」
「そか……」
「1と2は200時間くらいやったけど、5はどうかな」
「いま、なんじかん?」
「75時間くらい」
「ななじゅうごじかん……」
「……よく考えたら、丸三日もこのゲームやってるのか」
麻痺していたが、すごいことだ。
「にひゃくじかん、いちばんくらい?」
「ゲームのプレイ時間ってこと?」
「うん」
「いや──」
もっと、桁違いにプレイしているゲームがある。
「elonaは、1000時間は軽く……」
「せん」
「1000」
「──……せん!?」
うにゅほが目を白黒させる。
「まじか……」
「マジです」
1000時間。
よくもまあ、そこまで費やせたものだ。
そんな話をしていたら、またプレイしたくなってきた。
やらないけど。
2018年11月22日(木)
両親の寝室から窓の外を覗き見ると、世界が真っ白に染まっていた。
「わあー……!」
「うわ……」
どちらがどちらのリアクションか、いまさら記す必要もあるまい。
「初雪は根付かないけど、今年はさすがに根雪になるかもな……」
「はつゆき、おそかったもんね」
「毎年そんなこと言ってる気もするけど」
「あー」
「そして、結局根雪にならない」
「たしかに」
「なんだかんだ解けるよ、きっと」
「そか……」
うにゅほが残念そうに頷く。
「しかし、いままで力を溜めてたみたいに、一気に降り出したなあ」
「ぼたゆき、すごいね」
「重いぞこれは」
「ぼたぼたしてるから、ぼたゆき?」
「ぼたぼた……」
そんなオリジナルの擬態語を引き合いに出されてもなあ。
「牡丹みたいな雪と書いて、ぼたゆき。牡丹の花びらみたいに、大きく、まとまって降るから、そう名付けられたんだろうな」
「ふぜいがありますね」
「美しい日本語です」
「こなゆきは、こなみたいなゆきだから、こなゆき」
「だな」
「はつゆきは、はじめてふるゆきだから、はつゆき」
「そうそう」
「ゆきむしは、ゆきみたいなむしだから、ゆきむし」
「初雪の降るすこし前に出てくるから、余計に雪を彷彿とさせるんだろうな」
「へえー」
「あれ、本当はアブラムシなんだぞ」
「そなの?」
「たしか、そのはず」
「そなんだ……」
そんな豆知識を披露しながら、自室へ戻ってストーブをつける。
なんとなく"牡丹雪"で辞書を引いてみたところ、"ボタンの花びらのように降るからとも、ぼたぼたした雪の意からともいう"と記されていた。
うにゅほは正しかったのだ。
頭から否定した自分を恥じる俺だった。
2018年11月21日(水)
「寒い……」
「さむいねえ……」
膝の上のうにゅほを抱きながら、寒さに打ち震える。
「エアコンつけないの?」
「つける」
「じゃあ、つけてくるね」
膝から下りようとするうにゅほを、しかと抱き締める。
「待った」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「考えてみれば、これからもっともっと寒くなるわけです」
「ですね」
「この程度で寒がっていては、真冬の気温に耐えられないのではないでしょうか」
「なるほど……」
「というわけで、エアコン以外の方法で暖を取ってみたいと思います」
「わかりました」
「××、靴下履いてる?」
「はいてる」
「俺は膝あったかいけど、××は?」
「さむい……」
「じゃあ、ブランケットだな」
星のカービィのブランケットを広げ、うにゅほの膝に掛ける。
「これ、さわりごこちよくて、すき」
「いいよな」
「でも、まださむいねえ……」
「次は半纏だな。二人羽織しよう」
「うん」
半纏の紐を解き、うにゅほに覆い被せる。
広い袖に二本の腕が通り、密着感が遥かに増した。
「はー、あったか……」
「だいぶ暖かくなったな」
「うん」
「室温は17℃だけど、外は何度なんだろう」
iPhoneを手に取り、天気アプリを起動する。
「……-6℃?」
「え」
「はーいエアコンつけましょう!」
「そだね……」
半纏を二人羽織にしたまま、のたくたとエアコンの電源を入れる。
北海道はとっくに冬なのだった。