2016年8月31日(水)
「──…………」
ふらふらと頭が前後に振れる。
意識にもやがかかっている。
「……◯◯、どしたの?」
「うん……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫……」
本当に大丈夫かな。
どうかな。
「んー」
うにゅほの手のひらが、俺の額に触れる。
「あつくない」
「熱はないと思う」
「ねつない」
「うん、熱はないんだけど……」
「でも、◯◯、ぐあいわるそう……」
「具合が悪いというか、なんか、ぼーっとする」
「なつばて?」
「どうだろう……」
「あつかったもんねえ」
「あんまり暑いから、エアコンかけてリビングで寝たもんな」
「すずしかったねえ……」
「いまも扇風機ガンガンかけてるし」
「うん」
「……なんか、心当たりがあり過ぎて、夏バテしないほうが不思議な気がしてきた」
「うん……」
「××は大丈夫か?」
「まだ、だいじょうぶ」
「そっか」
「◯◯、よこになる?」
「すこし……」
「せんぷうき、くびふりにするね」
「××、リビングで涼んできな」
「んー……」
「××まで夏バテしたら、誰が俺の面倒を見てくれる」
「ふふ」
くすりと笑って、うにゅほが立ち上がる。
「つめたいの、つくっとくね」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目を覚ました俺を待っていたのは、メロンミルクのスムージーだった。
美味しかった。
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2016年8月30日(火)
「──よし、終わり!」
仕上げた図面をトントンと揃え、クリップで留める。
「おつかれさまー」
やわやわと手のひらを揉んでくれるうにゅほに笑顔を返し、天井付近を仰ぎ見た。
「それにしても、涼しいなあ……」
「そだねえ」
自室の室温が人体に有害なレベルへと達したため、リビングへ避難してきたのだった。
リビングにはエアコンがある。
文明の利器を肌で感じながらする仕事は、思った以上に快適だった。
「……やっぱ、エアコン必要だな」
しみじみと呟く。
「そだねえ……」
まさか、晩夏になって、ここまで気温が上がるとは思わなかった。
北海道の夏もここまで来たかって感じである。
「さ、部屋戻るか。もう夜だし、だいぶ涼しくなってると思うぞ」
「うん!」
うにゅほの手を引き、自室へ戻る。
「あ、すずしい」
「涼しいな」
冷たい空気が、汗ばんだ肌を撫でていく。
「風が出てきたみたいだな」
「たいふう?」
「いちおう、進路ではあるみたいだけど──」
そう言った瞬間、
ジャッ!
と、よく熱した鍋に冷たい水をぶちまけたような音が轟いた。
「あめ!」
「××、そっちの窓!」
「はい!」
慌てて窓を閉め、ほっと一息。
「たいふう、きた?」
「たぶん……」
「……あちーね」
「暑いな……」
温湿度計をそっと裏返し、扇風機の前に並ぶ俺たちだった。
2016年8月29日(月)
「──…………」
「あちー、ねえ……」
二十年ものの扇風機が、ゆっくりと首を振りながら、部屋の空気を掻き乱している。
窓は開いている。
扉も開いている。
だが、風は入ってこない。
無風なのだ。
「──…………」
温湿度計を覗き込む。
「……なんど?」
「知りたい?」
「──…………」
「──……」
「いい……」
賢明である。
「……ちょっと、前言を撤回していいかな」
「?」
「たぶん、今日は、この夏でいちばん暑い日だと思うんだけど……」
「うん……」
「これ以上があると、さすがに、まずい気がする」
「うん……」
確実に健康を害される。
そんな確信を抱くほどの暑気だった。
「エアコンさ」
「うん……」
「つけようか」
「うん……」
「……生きてる?」
「いきてる……」
ぐてー、とベッドに倒れ込んでいるうにゅほの手を、そっと取る。
「リビング行こう。涼もう。脱水症状になりそうだ」
「うん……」
夏は好きだ。
暑いのも好きだ。
だが、じっと耐え抜くものではない。
仮にそうだとしても、うにゅほを付き合わせる謂れはないはずだ。
エアコン、つけよう。
猛暑に対する備えとして、あって困るものではないのだし。
2016年8月28日(日)
「めだまー」
「すこしまっててね」
「はい」
エプロンをつけ、髪の毛をまとめたうにゅほが、慣れた手つきで卵を割る。
「わ」
「どうかした?」
「きみ、ふたつある……」
汁椀を覗き込むと、ちいさな黄身がふたつ、白身のなかで泳いでいた。
「お、双子か」
「ふたご?」
「卵にも双子があるんだよ」
「そなんだ……」
うにゅほが軽く目を伏せる。
「このたまご、あっためたら、ふたごのひよこになったのかな……」
「──…………」
可愛いなあ。
「ならないぞ」
「?」
「なりません」
「ならないの?」
「これ、無精卵だからな」
「むせいらん……」
「ひよこにならない卵のこと」
「へえー」
うんうんと頷く。
「俺も、スーパーの卵あっためたらひよこになるって思ってたなあ……」
「◯◯もおもってたんだ」
「小学生のころだけど」
「う」
うにゅほがほっぺたを両手で包む。
「はずかしい……」
ほんと可愛いなあ。
「ほら、めだまめだま」
「うん、まっててね」
「はい」
トーストにベーコンエッグを乗せたジブリ風ブランチは、たいへん美味しかった。
目玉焼きの黄身は、半熟と完熟のあいだに限る。
2016年8月27日(土)
とん。
目の前に、複雑な色合いをした液体のなみなみ入ったグラスが置かれた。
うにゅほ謹製の野菜ジュースだ。
「◯◯、これ……」
「……?」
うにゅほは何故か浮かない顔である。
「どうかした?」
「うん……」
しばしの思案ののち、うにゅほがそっと口を開く。
「きょうね、やさいジュース、あんましおいしくないかも……」
「材料が足りなかった、とか」
「りんごがね、なかったの」
「それくらいべつに」
「そんでね、メロンがあったの」
「メロン入れたんだ」
「うん……」
「美味しそうじゃん」
「わたしもね、つくるときは、そうおもったの……」
うにゅほがグラスに視線を送る。
「とりあえず、飲んでみるよ」
「──…………」
グラスに口をつけ、ひとくち飲んだ瞬間、
「ぶ」
思わず吹き出しそうになってしまった。
これは、あれだ。
「……キュウリの味がしますね」
「うん……」
「キュウリにはちみつかけたらメロンの味がするって言うけど……」
メロンの甘みが薄まったことで、ウリ科独特の青臭さが前面に押し出されてしまったのだろう。
「ごめんね、おいしくなかったね」
「……いや、まあ、美味しくはないけど、飲めないほどじゃないよ」
腰に手を当てて、グラスの中身を一気にあおる。
「あしたはりんごかってくるから……」
「楽しみにしてる」
「うん」
頭を強めに撫でてやると、うにゅほが気持ちよさそうな顔をした。
悲しい顔より、こちらのほうがずっといい。
2016年8月26日(金)
「おー」
温湿度計を覗き込んだうにゅほが、うんうんと満足げに頷く。
「何度?」
「にじゅうはちど!」
「だいぶ涼しくなったなあ」
「うん」
「湿度は?」
「うと、よんじゅうはちぱーせんと」
「ちょうどいいな」
「うん」
実に快適である。
「とうとう夏もピークを過ぎたか」
「げじゅん、だもんね」
「来週はもう九月だぞ」
「うへえ……」
苦笑する。
「夏を過ぎたらすぐ冬が来るなあ」
「あきは?」
「北海道の秋なんて、無きに等しいし」
「みじかいもんねえ」
「冬が来たら雪が降って、雪が降ったら雪かきだ」
「ゆきかきしたいねえ」
「俺は、あんまりしたくない……」
「うんどう、なるよ?」
「寒いし……」
「あついのとさむいの、どっちすき?」
「暑いほう」
「そかー」
「××は?」
「どっちもすき」
「冬が来たら、抱きまくらにしてやろう」
「ふゆのがすき……」
うへーと笑う。
「現金なやつめ」
「うん、げんきん」
「そんな××は、膝の上にご招待だ」
「わ」
うにゅほの手を引き、膝に乗せる。
「──……ほー」
「涼しくなったからな」
「なつもすき」
「……ほんと現金だなあ」
とりあえず、くっついてれば満足なふたりだった。
2016年8月25日(木)
まくらカバーを交換した。
「──…………」
すー、はー。
「××さん」
「──……♪」
すー、はー。
「……まくらカバーのにおい嗅ぐの、やめてもらえませんか」
「◯◯のにおいする」
「俺のまくらカバーだからね……」
「くさい」
「どうして嬉しそうなんだよ」
「くさくて、いいにおい」
すー、はー。
もはや言うまでもないことだが、うにゅほはにおいフェチである。
「……間接的に嗅がれるのって、なんかムズムズするんだけど」
「いや?」
「イヤかイヤでないかで言えば、イヤだ」
「ごめんなさい……」
うにゅほがまくらカバーから顔を離す。
「いや、謝るほどでは」
「でも」
「……あーもー、直接来なさい直接」
「ちょくせつ?」
「嗅ぎたいなら、頭を直接嗅ぎなさい」
「いいの?」
「好きにせい」
「♪」
すんすん。
すー、はー。
ふんふん。
すー、はー。
「……楽しい?」
「たのしい」
「あとで俺も××の嗅いでいい?」
「いいよ」
うにゅほの髪の毛は、シャンプーの残り香と汗の混じったにおいがした。
2016年8月24日(水)
「うーん……」
ヒゲの生えかけた顎を撫でながら思案に暮れていると、うにゅほが俺の顔を下から覗き込んだ。
「どしたの?」
「……××と母さんが買い物行ってるあいだ、父さんが部屋に来てな」
「うん」
「俺たちの部屋があんまり暑いから、エアコン買っていいってさ」
「おー」
ぺん!
不器用な音を立てて、うにゅほが両手を打ち鳴らした。
「いいねえ」
「まあ、うん……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「だめ?」
「駄目ではないんだけど、暑い日がないと夏って感じがしないって言うかさ」
「あー……」
「暑い日なんて、たかだか二週間程度だろ。そのためにエアコン買うのもなあって気もするし」
「そだねえ」
「なんなら、××が決めてもいいぞ」
「えっ」
「暑い夏がいいか、涼しい夏がいいか」
「うと……」
「気軽にさ」
「──…………」
両手をもじもじさせながら、うにゅほが思い悩む。
「……わたし、せんぷうき、すき」
「うん」
「◯◯といっしょにあたるの、すきだし……」
「うん」
「なつ、ずっとあつかったから、あつくなくなると、なつじゃないとおもう……」
「そっか」
「うん……」
「じゃあ、エアコンは無しにしような」
「うん」
「俺も、暑くない夏は寂しいと思うよ」
「ね」
ふたり頷き合う。
エアコンは便利だが、四季を平らにしてしまう。
暑い夏には暑い夏なりの楽しみ方があると思うのだ。
2016年8月23日(火)
「──……う……」
暑い。
熱い。
アイマスクを外し、首筋を撫でる。
「……うわ」
汗で濡れた指先を甚平の裾で拭い取り、上体を起こす。
「あ、おきた」
「いま何時……」
「いちじすぎ」
「一時……」
午前中に出掛けようと思っていたのだが、完全に寝過ごした。
「……まあ、いいか」
大した用事でもないし。
「それにしても、暑い……」
「そかな」
「暑くない?」
「あついけど……」
カーテンを開く。
「──!」
あまりの陽射しに、思わず目を細めた。
暑いはずだ。
「……台風一過ってやつかな」
「たいふういっか?」
「台風の家族じゃないぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「台風が通り過ぎたあとは、いい天気になるんだよ」
「そうなんだ」
「それを、台風一過って言うの」
「へえー」
うんうんと頷く。
「なんで?」
「台風が、周囲の雲ごと持ってっちゃうんじゃないかなあ」
「なるほど……」
納得するうにゅほを横目に、うんと伸びをする。
「腹減ったなあ……」
「めだま、やく?」
「頼んだ」
「はい」
遅すぎる朝ごはんを食べ、うにゅほとぼんやり過ごす。
仕事の少ない穏やかな一日だった。
2016年8月22日(月)
さて、昨夜の顛末を記さねばなるまい。
午前零時過ぎのことである。
「××、怖いの見ようぜ怖いの」
「こわいの?」
「ニコニコで、怖い映画とかやってるんだよ」
「こわいの……」
「やめとく?」
「みる……」
恐怖と興味が半々といった面持ちだ。
「ほら」
ぽんぽん。
「うへー……」
うにゅほを膝の上へ導き、該当ページを開く。
「今日は、えーと──投稿された心霊映像をまとめたやつかな」
「こわい?」
「大したことないと思うぞ」
「ほんと……?」
「怖くないほうがいい?」
「──…………」
しばし思案したのち、
「……ちょっとだけ、こわいのがいい」
「そうだな、ちょうどいい怖さならいいな」
「ぎゅってして……」
「はいはい」
明かりを消し、うにゅほを抱き締める。
ディスプレイの中では、漫画喫茶を営む男性がインタビューを受けており──
「……つまんねえー」
「うん……」
まず、インタビューが冗長すぎる。
同じことを幾度も尋ね、似たような受け答えを繰り返す。
そして、肝心の心霊映像が合成バリバリの安っぽい代物となれば、駄作と評するのに何のためらいもない。
「見るのやめようか」
「そだね」
「わんこの動画でも見るか」
「みる!」
うにゅほがうとうとし始めたのは、午前一時半を回ったころだった。
「そろそろ寝る?」
「ねる……」
うにゅほをベッドへ連れて行き、タオルケットをおなかに掛ける。
「──…………」
すると、うにゅほが甚平の裾を引いた。
「こわくなってきた……」
「あー」
そういうの、あるよな。
「んじゃ、寝るまで隣にいてあげるから」
「て」
「手も繋いでな」
「ん……」
安らかな表情で、うにゅほが目蓋を閉じる。
寝息が聞こえるまで、さほどの時間は掛からなかった。
うにゅほが起床したのは、いつもどおりの午前六時だったらしい。
やはり、強靭な体内時計である。